吉野杉の家ダイアローグ
第2回 宮大工 小川三夫さん
- 対談日時:2022年3月19日
- 場所:吉野杉の家
小川三夫
宮大工
1947年、栃木県生まれ。高校の修学旅行で法隆寺を見て感激し宮大工を志す。
21歳のときに法隆寺宮大工の西岡常一棟梁に入門、唯一の内弟子となる。
法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔の再建では副棟梁を務める。
1977年、鵤工舎を設立。独自の徒弟制度で数多くの弟子を育て、全国各地の寺院の修理、改築、再建、新築にあたる。
長谷川 豪
建築家
1977年埼玉県生まれ。2002年東京工業大学大学院修士課程修了後、西沢大良建築設計事務所勤務を経て2005年長谷川豪建築設計事務所設立。2015年東京工業大学大学院博士課程修了(工学博士)。 ハーバード大学デザイン大学院(GSD)、カルフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、メンドリジオ建築アカデミーなどで客員教授を歴任。 2005年SD Review鹿島賞、2008年新建築賞など受賞歴多数。 主著に『考えること、建築すること、生きること』(LIXIL出版, 2011)、『Go Hasegawa Works』(TOTO出版, 2012)、『長谷川豪 カンバセーションズ』(LIXIL出版, 2015)、『a+u 556 Go Hasegawa』(a+u , 2017)、『El Croquis 191: Go Hasegawa 2005-2017』(El Croquis, 2017)など。
「外には吉野のヒノキを使え」
長谷川:小川さん。まずは今回のお話受けていただき、ありがとうございます。
小 川:いいえ、こちらこそ。
長谷川:吉野杉の家ができてちょうど5年ぐらいになるんですが、それまで奈良や吉野と、僕は全然縁がなかったんですけども、この建物に関わらせていただいた縁で、いまも定期的に吉野町に通う機会を頂いています。
やはり来るたびに、「いいところだなあ」って思います。友人に薦めて行ってもらってもみんな「いいところだった」と。歴史も古く、貯木場をはじめとして、吉野にしかない風景がある。 ですから吉野町とこういうふうに縁が続いていることも、とても嬉しく思っています。
小 川:うんうん。
長谷川:さて昨日は、小川さんに法隆寺をご案内いただくという、たいへん贅沢な経験をさせて頂きまして、さらにその後はこの吉野杉の家で、夜遅くまでお酒を飲みながら楽しいお話しをたくさん聞かせて頂きました。少し飲み過ぎましたが(笑)。
いろいろ印象に残っていることがあるので、そこからお話させていただきたいと思います。
まず、昨夜とくに印象的だったのが、小川さんが本当に嬉しそうに「やっぱり木を触って、木の仕事をするという、こんなに楽しいことはないな」と、しみじみと仰われていたことです。
今日は吉野でお話するということもあって、まずはやはり木について伺いたいです。宮大工として、これまでたくさんの建築に関わられたと思いますが、どういういうところに木の仕事の魅力や楽しさを感じていらっしゃいますか。
小 川:そうですか、そうですか。まあ木にもいろんな種類がありますよな。ケヤキとかカシとか、そういう堅い木もありますけども、やはり触って一番気持ちいのがヒノキでしょうなあ。
まず加工しやすくて、自分の思うイメージのような加工ができる。それから自分はお宮さん、お寺さんを作ってますから。やっぱしヒノキというのは、本当に長持ちする木ですよね。しなりがあって強い。そういうのと一緒にその仕事をしているっていうのは、本当に楽しいことですよ。そして、木というものは面白いことに、ちょっと汚れてもカンナですっと削ってやれば、また新しい層が出てくる。そういうものを触っているのがやっぱり楽しいですよね。これは本当に楽しいことです。
長谷川:やはり木には、1本1本違いがあるんですね。
小 川:みんな違いますね。要するに使う場所によって、それを定めていくわけです。
例えば、昨日見た法隆寺のようなものは垂木が1本でずっと出てるから。この木は、下に反る木は中央の方に持ってくる。反り上がる木は、端の物を持ってきて作るとか。そういうことをよう考えます。1本1本違うし、そういう癖を見ながら仕事をするわけですね。
長谷川:例えば鉄骨などと違って、木は1本1本揃っていないがゆえに、大工さんがそれぞれの癖を見極めて使っていく。
小 川:そうですね。ですから、みんな不揃いっていうんかな。育ちが違いますから、それを適材適所に使うっていうのが面白いですね。
長谷川:吉野の木について、小川さんのお師匠さんであられる西岡常一棟梁から学んだことや、実際に自分で使ってきて、何か感じてきたことなどあれば聞かせていただけますか?
小川:西岡棟梁は、「木はやはり吉野の木が一番」っていうふうに言ってました。
ヒノキは日本ではいろいろなところでとれます。まあ代表的なものだと木曽のヒノキというのがありますけど。木曽のヒノキでは仏像を作ったり、能面を作ったりっていうことをできるんですよ。吉野のヒノキでは、そういうことはあまりしない。できないっていうかな。吉野のヒノキはどうしても、ヤニが外へ出る。木曽のヒノキというのは、ヤニを中へ中へ入れるんです。ですから脂っ気がなくて、表面は綺麗なんです。
ですから自分たちが使うのには、風に晒される表側に、脂っ気のある強い木を使う。中には綺麗な木曽のヒノキでもいいと思うんです。しかし木曽のヒノキは、脂が中へ入るから、いくら掃除してもピカッと光らない。吉野のヒノキは、拭けば拭くほど光る。光が出てきます。それは脂が浮いてくるから。
長谷川:なるほど。
小川:昨日吉野町の方と話していて、吉野でも「外周りの建具は、吉野のヒノキを使え」って昔から言われているそうで、ああ、それは本当に建築もそうだなと。
自分たちは、木を使ってきて、木曽のヒノキを外へ出したらあかん。雨がつくと、すぐに水がすっと吸ってしまうんです。吉野の方は弾くんですよ。ですから、そういうふうな使い方をしてきたんです。だから昔の人は言ったんでしょうな。中は他のヒノキでもいいが、外には吉野のヒノキを使えと。そういう使い方を長い間にみんなで考えてきたんでしょうな。
長谷川:たいへん興味深いお話しですね。では実際に、西岡さんも小川さんも、建物の外周部には吉野のヒノキを使ってこられたのですね。
小 川:はいはい。書院なんか頼まれた場合に、どうしても外回りは吉野のヒノキで固めて。中は木曽のヒノキでもいいですけどね。
「昔の人は、今の人よりも木を大切にした」
長谷川:昨日は法隆寺を案内いただきました。回廊のところの上の梁の上に合掌型に組んだ2本の部位・・・
小 川:「扠首(さす)」ですね。
長谷川:はい。小川さんが、法隆寺の飛鳥時代の扠首(さす)の造りを、その後の時代の改修でつくられた扠首(さす)と比較しながら、「飛鳥の人の仕事は美しいな。飛鳥の人は木のこと、建築のことがよーく分かっているんだ」と話されていたのも印象的でした。この飛鳥の人の美意識といいますか、そういったところについて少しお話いただければと思うんですけど。
小 川: 昔の人は、今の人よりも木を大切にしたような感じはしますね。この仕事をやっていて思うのには、山から木を運び出す、その苦労を知っているから大切にしたんですよ。ですから、山から木を運び出すだけの知恵と力があれば、現場で建物を建てるということはそれほど難しいことじゃない。
長谷川:そうですか。今はもう注文すれば現場に材料が届くっていうふうに、どこか思っているところがあるんですけど、昔の人はその前の苦労を知っていたことが大きいということですね。
小 川:はい。今の人なんかは、現場で積み上げることばっかし考えているから。そういうことが気づかない。飛鳥の時代の人は、山から木を運び出してきて、それを加工して。加工するのも今のように機械がないですからね。木を割るにも相当な苦労をしている。ですから木を最大限に活かしてやろうという気があるんじゃないですかね。
長谷川:そして法隆寺の中門の柱について、小川さんが説明してくださったことにも驚きました。直径800ミリくらいでしょうか、かなり太い柱でしたけど、かつて小川さんがあの柱を上から見てみたら、なんと芯がなかったそうですね。つまり2mとか、いやそれ以上の太さの、とんでもない大きな木から柱を何本も取ったのだと・・・。
小 川:そういう木が昔はあったんでしょうな。ですから、山で大きな木を4つ割にして、だいたい柱の形にして、そして運び出してきたんですよ。大きな木のままじゃ、とてもとても運び出せませんからね。
長谷川:法隆寺が築1300年を超えるわけですから、あの柱は、遥か昔の木だということですよね。
小 川:そうでしょうな。ですから、3000年くらいでしょうな。あの木が生まれたのは。それが今にまだ立ってるんですからね。
長谷川:そうですよね・・・。
小 川:すごい長持ちしますよ、木っていうのは。
長谷川:ああいう木は、もう作れないんですかね。
小 川:もうあんな大きいのは作れないでしょうな。ですから恐らく法隆寺の木あたりは、矢田山系にあったんじゃないですかね。そんな遠いところから運べませんからね。
長谷川:当然人工林ではなくて、その地に立っていたものですね。
小 川:そうでしょうな。3000年ぐらい前から、ヒノキは生えてたんでしょうな。
長谷川:例えばイタリアのローマあたりに行くと、石の建築で古いものはいっぱいありますが、奈良には木造の古建築がいまも数多く残っています。やはり昔の大工さんの仕事が優れていたのだと思うんですが、法隆寺の建設に関わった飛鳥時代の大工さんたちは、1300年も残ることを考えて仕事していたのでしょうか。
小 川:それは考えてないですね。しかし、気候風土に合ったような形にしていますよね。法隆寺なんかは基壇を作っていて。石の基壇の上に建てて、軒を深く深くした。雨風に耐えられるようにしているんでしょうけども、そういうことをちゃんと考えた。それがまた機能だけじゃなくて、美しさがありますからね。
長谷川:そうですね。これだけ建設技術が発達して、地震に対する研究などもすごく進んでいますが、では現代建築が1300年残るのかといわれると、なかなかそうもいかないんじゃないかと思うんです。
いま小川さんがおっしゃった、飛鳥の人の木に対する深い理解と、気候に対する深い洞察が、ああいう建築を可能にしたんですね。
小 川:そうでしょうな。ですから、自然というものをものすごく理解していたんでしょうな。山から木をどうやって運び出すか、今の人は分かりませんから。昔の人は、大変な苦労をして現場に運んで建てるなかで、色々なことに気づいていたんでしょうな。
長谷川:法隆寺の五重塔と金堂の屋根のディテールの違いについても説明してくださいました。10年くらいで進化しているんだっていうお話でした。
小 川:そうですよ。だから金堂の方は雨がポタポタ落ちちゃう。そこで、それをどうしようと考えたんでしょうな。
長谷川:そうやって昔の人の工夫を読み解けるのは、小川さんは建物を見れば、当時の大工がどんな気持ちで仕事をしているか分かるからだと思います。あれには感動しました。
「手を合わせたくなるような建物を造りたいですね」
長谷川:建築についてもお聞きしたいんですが、小川さんは、これまで多くの寺社仏閣を手掛けられてきました。神様が入る空間といいますか、神様の家ですね。そういうものは、やっぱり人間のための空間、例えば住宅などとは違うと思うんですね。
お寺や神社を手掛けられるときに、小川さんが気をつけていることと言いますか、大事にしていることはありますか。
小 川:ああ。でも神様仏様は何も文句言わないから作りやすいですよ(笑)。
長谷川:僕は住宅をよく設計するんですが、お施主さんから色々と言われますね(笑)。
小 川:そうでしょ。神様仏様は自分たちに何にも言わないから、好きなようにできるんですけど。
仏さんの前に行ったら、大体の普通の人はみんな手を合わせますよね。やはりね、自分たちは、みんなが自然と手を合わせたくなるような建物を造りたいですね。
長谷川:なるほど。手を合わせたくなるような建物っていうのは、どういうものなんでしょうかね。
小 川:やはり造るときに、精一杯仕事をするっていうことでしょうな。うん。要するに、もう予算でもなんでも精一杯に使い切る。もうそれしかないですからね。
長谷川:嘘のない仕事ということですか。
小 川:自分自身に嘘偽りなく、妥協することなく、仕事をすればいいんじゃないですかね。予算がなくても、その予算のないなかで精一杯やる。それしかないですね。
自分たちは檀家のお寺の仕事が多くて、檀家の中には、まあ左官屋さんや大工さんもいますよ。その人らが見ても、「俺らよりもいい」「うまく作っている」っていうふうに思わせなくちゃ。みんな檀家の人から預かったお金ですからね。それをうまく最高に使い切るっていう感じですね。
長谷川:そうですか。ところで小川さんはこれまで古建築も含めていろいろな建築を見られてると思うんですが、お好きな建築はありますか?
小 川:だいたい自分は、鎌倉時代に建った建物が好きですね。やっぱり飛鳥あたりだと、ちょっと木が太すぎます。堂々としていますけど、ごつすぎる感じがします。それが繊細になってきたのが、鎌倉時代の建物ですね。
長谷川:鎌倉時代の建物のなかでも、特にこれが好きだっていうものはどれですか?
小 川:うーん。たくさんあるなあ。長弓寺本堂などは美しくて好きですね。
「自分が伝統建築を担っていくんだ、なんていう気持ちで来る人はだめですね」
長谷川:小川さんの本を読ませていただくと、やはり人を育てることについてのお話が大変印象的で、僕も勉強になりました。建築に携わらない人にも、サラリーマンの人にも、小川さんのお話はそれぞれの立場で響くと思います。鵤工舎を設立したのがいつでしたか。
小 川:昭和52年ですね。
長谷川:僕が生まれた年です。ですから44年。お弟子さんは何人ぐらい出られたんですか?
小 川:うーん。100人くらいはいます。しかし、その中でも、やっぱしきちっとしたのが1割くらいでしょうな。
長谷川:1割ですか。さっき朝ごはん食べながら、新しく入ってくる子について話されていました。僕自身も設計事務所をやって、建築家になりたいっていう人が入ってくる。大学卒業してから入ってくるわけですけども、人を育てるって難しいなって思います。
小 川:うーん。育てるっていうこと自体が、もう間違っているような気がしますね。自分を見させて、もう何もかも見せて。そんなぐらいで、いいんじゃないんですかね。
長谷川:さっき1割ぐらいだとおっしゃいましたけど、残る人はどういう人でしたか。
小 川:そりゃなんていうのかな。やっぱしまあ、真摯な生き方をしているというか。真面目ですよね。素直と真面目がなかったら、ちょっとだめですね。ですから、自分が伝統建築を担っていくんだ、なんていう気持ちで来る人はだめですね。そんなの。
長谷川:なんというか、最初から野心があるような人は続かないと。
小 川:そうですねえ。
長谷川:やはり目の前のことを一生懸命やれる人が続く。
小 川:一生懸命やれることでしょうな。そんなふうに思いますね。
長谷川:そうですか。本を読ませていただいて驚くのは、やはり小川さんが弟子と一緒に暮らすということです。
小 川:うん。そうですよ。
長谷川:暮らしていくなかで、やっぱりお互いの、なんていうんですかね、思いやりとか、気遣いとか、大工の技術以外のことを、たくさん学ばれるんじゃないかなと思うんです。一緒に暮らすというやり方は、どのようにして始められたんですか。
小 川:昔の人はみんなそうですよ。親方と徒弟制度みたいなものって。自分も西岡棟梁のところに、ずっと一緒にいましたよね。だから寝ても起きても、仕事のことや、その雰囲気の中に浸っている。それでも、たった10年ですからね。10年間ぐらいは、そういうふうにして、仕事の他にも、いろんなものに気づく。ですから、俺なんか何にも弟子に言わねえ。ただ一緒に生活しているだけ。それだけで、いいわけですよ。
長谷川:そうなんですが、なかなか大変ですよね。
小 川:まあ自分は大変じゃないですよ、それが楽しいんですから。わはははは!大変だと思う人だったら、できないでしょうな。自分を犠牲にしているように思うんだから。
長谷川:そうですね。44年間、弟子と一緒に暮らしてお仕事をされてきて。今の子は、以前とは変わってきていますか。
小 川:そうそう。昔はみんな楽しくやってたし、案外残った。今は苦痛でしかないんだろうな。だから残る人は少ない。うちに来てもすぐに帰ってしまうというのが多いですね。外がよく見えるんだかなんだか。そんな感じで辞めていきますね。
長谷川:情報が多いし、きっと誘惑もあるので、楽なほうに流されやすくなったのでしょうか。
小 川:まあなあ。うちに来た子でも最初は何にもできないんですよ。刃物が研げない。刃物が使えなくても給料やらなくちゃなんない。先輩のためにやれることといったら飯作りと掃除。そんなもんで。それが当たり前だとは思うんですけども、それが苦痛で辞めていく子も多いですね。
長谷川:女性の大工さんについてもお聞きしたいです。小川さんのお弟子さんで、これまで女性の方は何人ぐらいですか。
小 川:5人くらい育ちましたね。
長谷川:やっぱり大工の仕事では、女性は大変なことも多いと思うんですけども。
小 川:はいはい。職人ですから、力を溜めて道具を使いますよね。力を溜めるっていうことを男の子はできるんだ。女の子はそれができない。女の子は全部力を出すっていうか、溜めるっていうことがないんだなあ。100%力を込めて仕事してしまうから、怪我した時に大きな怪我をする。女の子はね。
長谷川:女性の大工のほうが長けてると思うところはありますか。
小 川:そりゃ女の子は根気が強い、根気がある。男の子なんか相手にならないわな。全然。いろんなことを考えさせたりやると、女の子はやっぱりすごいです。それはやっぱし男にないもの、根気強さがあるからじゃないですかね。まあ、人さまざまかもしれないですけど、そんな感じしますね。だからこれからは、女の大工さんってたくさん出てくるんじゃないですか。
長谷川:大工にとって根気強さは大事ですね。
小 川:とても大事ですね。
「身構えていますよ、道具自体が」
長谷川:先ほど、刃物を研ぐ話が出ました。
昨日、法隆寺のインフォメーションセンターで展示されている、西岡棟梁の道具を拝見しました。西岡さんの使われていた道具は、一個一個はとても小さな単純なつくりのもので、あれで巨大な建築を手掛けられていたことに感銘を受けました。また、やはり刃物に魂が宿っているといいますか、とても手入れされている道具だっていうのは、僕が見ても分かりました。
小 川:そうなんですよ。西岡の道具は今見ても、すぐ現場に行って使えるというような感じで、身構えていますよ、道具自体が。
長谷川:道具が構えている・・・。
小 川:俺らの道具はだめなんですよ。1週間もしたら、ぼーっとしてしまうんですよ。それは苦しい時に、機械を使うから。どうしても電気道具使ったりしてしまうんですよ。その苦しいのを乗り越えた道具は素晴らしいんですよ。
長谷川:なるほど。いまは苦しい時に、現代の技術に頼ってしまう。
小 川:それが難しいんだな。今は、いろんなものがありますから。そっちにすっと流れてしまうな。
長谷川:西岡さんはあの道具だけで造り上げた。幾多の苦難を乗り越えてきた道具だから身構えていると。
小 川:身構えている。
長谷川:そう言われてみると、確かにそう見えました。
小 川:ちょっと錆びてくるからたまに油で拭いたりするんですけど、研いだりなんかはしません。西岡棟梁が研いだ跡があった方がいいですからね。道具も、そのまま。すごいと思いますよ。そういう人間になりたいと思うけども、なれないな。はははは。
長谷川:今もお弟子さんは、刃を研ぐところから。
小 川:やってますよね。
長谷川:やはりそれが大事ですか。
小 川:大事ですよ。だから刃物を研いで手入れをすることで、やっぱり道具に魂が入っていくから。要するに、道具が応えてくれるようになるんですよ。だからやっぱり手入れは大事ですね、手道具っていうのは。
例えば、今の時代には電気道具がありますよね。手道具を十分に使いこなした人が電気道具を使えば、その電気道具の120%ぐらい性能を発揮しますよ。でも電気道具だけで覚えた人では80%ぐらいしか発揮しません。手道具をやって理屈が分かったら、電気道具もうまく使えるんです。
ですからまず新人の時は、電気道具じゃなくて、まずは手道具を十分に使いこなす。そして、そこにやっぱり魂が入れば、それで削ったものだったらやっぱりきれいなものが削れます。
長谷川:そうですか。お弟子さんの中でも、そういうのが割とすぐできる子と、けっこう時間がかかるという子がいますか。
小 川:います、います。すぐできる子は、やっぱし器用っていうのかな。物覚えの早い子は、忘れることも早いし、飽きることも早いわ。だいたい。
長い間かかって自分のものにした子は、やっぱり長い。
長谷川:さっき小川さんの著作にサインをお願いして、「不器用の一心」って書いていただきました。
小 川:「不器用の一心」は、一番大切なことですね。うん。不器用であるがために、一生懸命やる。そんな感じします。
ですから、こういう自分たちの仕事は長い長い時間がかかる。そして造るものも大きいですから、途中で嫌になってしまうことがあるんですよ。そこを乗り越えるのは、やっぱり「不器用の一心」。そういう気持ちを持った子。
長谷川:宮大工さんは器用な人というイメージもありますけど、実はそうではないということですね。
小 川:はい。最後まで作り上げるっていう、気持ちが強い人がやっぱり残るんでしょうな。
長谷川:今の話に通じるところで、本の中で、「単純バカが一番だ」とも話されていました。
小 川:そう。ものを複雑に考えたらだめですよね。簡単に単純に考えていて、それがだんだん複雑になるんだから。最初から複雑に考えていたらだめだな。
長谷川:行動する前に考えているような奴はだめだと。行動しながら、修正していく力というんですかね。
小 川:それもなくちゃだめだな。
「ただ何もかも自然に動いていただけで」
長谷川:あとは、やはり西岡棟梁の話もお聞きしたいです。
僕にも建築の師匠がいます。建築に没頭していて、四六時中ずっと建築のことばかり話している。もちろん考え方や実務など具体的なことも色々学ばせてもらいましたが、なによりやはり生き方といいますか、強烈に建築に没頭してる人の背中を20代前半のときに見れたことが、自分の人生のなかで大きな出来事でした。
小 川:うんうん。
長谷川:小川さんの師匠でおられる西岡棟梁は法隆寺に仕えた最後の宮大工さんです。小川さんにとって、西岡棟梁はどういう存在ですか。
小 川:西岡棟梁ですか。どういう存在なんかな。そういうことをよう聞かれるけど、全然気づかねえんだよね。
でも、俺自身が、西岡棟梁とそっくりになるっていうんかな。何もかも懐の中に入れる人間だと思うんですよ。
離れていれば、その人のどうのこうのと言えるんですよ。でも入り込んでいくから、気づかねえんですよ。同じことをやってるようになっている。そんなような気分なんですよ。
長谷川:なるほど。一心同体だったということでしょうか。
小 川:そう、一心同体。ほんだから気づかなかったですね。
ほんで棟梁は、俺のことを「みっちゃん、みっちゃん」て呼ぶんだから。俺はどう呼んでいいか分からなくて、初めの頃は先生・・・先生でもねえな、親方でもねえなとか(笑)。そんな感じだったですよ。
でも、たまに外なんか出る時に西岡棟梁は「私には弟子いませんから」なんて言うんだから。あれえ、俺がいるのにと思ったりして(笑)。とぼけてんのか、なんだか知んねえけども。 俺もほんだから、西岡棟梁の考えてることも、すっと分かった。そういう性格なんだろう。俺、自分自身っていうのをあんまり持たないような感じだから。すっと入れるんだな。ほんだから、修行っていうのも一つも苦しくねえんですよ。
そこにいるだけだから。
長谷川:そこにいるだけ(笑)。
小 川:ほんとなんですよ。ほんだから、ただ何もかも自然に動いていただけで。
長谷川:当時は西岡棟梁の上の部屋で寝てらっしゃって。全く物音を立てずに、緊張して寝ていたそうですね。
小 川:そうそう。上の部屋じゃないんですよ、離れに。離れの下に棟梁の両親、おじいさん・おばあさんがいたんですな。その2階に自分は生活していましたから。それこそ物音ひとつ立てないで、生活していましたよ。そりゃあ、下に一番すごい人がいるんだから。
だから未だかつて、目覚し時計で起きたっていうことはないですよ。そんなの使わないから、目覚まし時計かけなくてちゃんと起きられましたよね。その癖がもうついているから、一回でいいから目覚まし時計で起きてみたいって思いますよね。起こしてもらいたい。
長谷川:凄い願望ですね、それは(笑)。
小 川:ちゃんとセットして寝ても、10分ぐらい前にパッとちゃんと目が覚めますもんね。そういう癖っていうかな。
長谷川:物音ひとつ立てないで寝ていたっていうのを僕は読んでいて。先週、吉野杉の家で一緒に小川さんと寝るっていうことが決まった時に、これはマズいと思ったんですよ(笑)
小 川:わはははは!
「飛鳥の木は、まだ生きてる感じがしますよね」
小 川:これが飛鳥のヒノキ。1200年前の。
長谷川:えっ、飛鳥時代!?
小 川:そう。木口からも見てもらうと、すごい年輪。
長谷川:この年輪は凄いですね・・・。
小 川:それと色が今のヒノキの色じゃないでしょ。1000年も経つと、このように焼けてくる。炭素化っていうのかな。こんな色になるんですよ。
長谷川:しかし小川さん、飛鳥時代のヒノキを持ってるんですか。
小 川:飛鳥時代の建物を修理した時、こんな木っ端が出るわけだ。自分らの道具箱なんかにポンと入ってますから。
長谷川:道具箱にポン(笑)。
小 川:で、削るでしょ。(カンナで削る)
長谷川:うおおおお。すごい匂い!
小 川:ヒノキの匂いじゃないでしょ。もう香木みたいな匂いでしょ。これは削らなくちゃダメなんですよ。
長谷川:すごい強い匂いですね。
小 川:飛鳥の木は、いまもまだ生きてる感じがしますよね。
ほんだから、ヒノキというのはすっごい木だということです。だから持つわな。1000年前の建物も。
長谷川:仰る通りですね。しかし、すごい木目ですね。
小 川:昔は寒かったんかな。あと、山もあんまり栄養価がねえんじゃねえかな。そんじゃねえと、こんな木目にならねえわな。
長谷川:過酷な環境で育っている方が、目が詰まって、強い木になる。
小 川:そうだな。あと昔の人は、本当に木のことを考えている。(写真を見せる)
これは東大寺の転害門ていうやつやな。転害門の南の端の写真ですよ。南側。ほんでこれがその反対、裏は節のない綺麗な木目です。今だったら絶対こっちを表にきれいなところ出すわな。
長谷川:ええ。
小 川:しかし、昔の人はこういうふうに「木は生育の方位のままに使え」っていうことなんですよ。節が出るのが南側だから、その向きに木を使うわけだ。ほんだから日が当たっていても、もともと育ちがそういう育ちだから強いんだ。
それを、今まで1回も日が当たっていない北側を南側へ出してしまったら、木だって急に弱ってしまう。そういう使い方をしてないっていうことだな。
西岡棟梁が「木の生育の方位のままに使え」って言ってたんだが、それが東大寺の転害門。転害門は1200年ぐらい前に造ったものですが、全然ビクともしなくて、今も立っている。
でも、今そういうふうに使われているかって言うと、やっぱしきれいな方を外へ出すとか、そういう使い方されてしまう。
長谷川:そりゃあ、きれいな方を、外の見えるところに。
小 川:出したい。でも昔の人は、自然のままを使っているんだな。
長谷川:まさに昔の人のほうが木のことをよく分かっていたということですね。
小川さん、昨日の法隆寺のご案内、そして今日の大変興味深いお話を聞けて大変充実した二日間でした。どうもありがとうございました。